「日本」の由来について考えてみる

少し前、ダイヤモンド・オン・ラインに大東文化大学の山口謡司教授が「日本」という国名は唐時代に中国によって名付けられたと書いていた。

歴史家の網野善彦氏の「日本とは何か」で大宝時代(702年)に唐に漂着した遣唐使が、「どこからきたのか」と問われ「日本から来た」と応えたと書いている。
女帝の則天武后に招かれた遣唐使代表の執節使粟田真人が正式に我が国のことを日本国と述べ、則天武后もこれを認めた。それ以降中国はそれまで倭と呼んでいたのを日本国と改めたといわれている。

当時の大国の唐(この時期は武周)によって、「日本」という国号が認められ、それ以降現在まで日本という国号が続いている。

一方、誰がなぜ「日本」と名付けたかについてはわかっていない。
そもそも漢字で日本と書いても、当時(7世紀~8世紀)は「ヤマト」と読んでいたらしい。「倭」も同じく「ヤマト」といっていたので、漢字表記だけ「日本」に変更したらしい。
「倭」は中国からみて南東地域を指すもので、国を現すものではなかった。
7世紀半ばの大化の改新で天皇を中心とした国の形が整えられていく中で、自らの国を「日本」という独立国家として対外的に示すことになったことは確かだ。

この時期朝鮮半島には高句麗、新羅、百済という三国があった。
朝鮮の最古の歴史書「三国史記」には当時の新羅が我が国のことを「日本」と呼んでいたという記録がある。
則天武后が「日本」という呼称を承認する以前に、新羅によって「日本」という国号が使われていたことになる。
そうすると先に挙げた山口教授の「中国が名付けた」というのは明らかに間違っているといえる。

ところで「ヤマト」だった「日本」を「ニッポン」と呼ぶようになったのは平安時代といわれている。
中国語で「日本」は「リーペン」とか「ジーペン」と聞こえる。それが「ニッポン」となったのではないだろうか。

のちにマルコポーロが『東方見聞録』で我が国を黄金の国「ジパング」と紹介したが、これも中国語の発音からきている。それがジャパンになった。

そう考えると、日本という国号は私たちの祖先の誰かが考えたものだろうが、「ニッポン」は中国由来と見ることもできるわけだ。


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