8月はフィリピンの国語月間だそうで、2日にはマルコス大統領が演説を行ったことが「マニラ新聞」に出ていた。
フィリピンの国語はフィリピン語だが、英語も公用語になっていて、特に高等教育では英語が使用されている。2019年に最高裁が大学教育でのフィリピン語科目は必須ではないという判断を示している。
高等教育でフィリピン語がつかわれにくい背景には、専門用語や学術語がフィリピン語になっていないことがある。だから高等教育だけでなく初等教育でも算数、理科、保健などは英語でやるしかない。英語がわからないとこうした教科が理解できないということになる。
フィリピン人の理数系の学力が調査58ヶ国中最下位という理由の一つが、学校で英語が満足に受けられなかったことにあるといわれている。
フィリピン語で理数系の教育ができればもっと成績も上がるに違いない、とマルコス大統領は考えているようで、「国民一人一人が、フィリピン語の知性化に参加してほしい。われわれがフィリピン語を愛し、誇りを持てれば、間違いなく豊かな未来が待っている」と述べたそうだ。
200年余りの鎖国を経て開国した日本は、当時の列強だった欧米に追いつくため、欧米の外国人を招いた。同時に新しい知識を自分たちのものとし、広く普及させるために欧米の書物を日本語に翻訳して出版する必要に迫られた。当然のことながら、外国語にはそれまで日本になかった概念や言葉が数多くあった。明治の知識人はその外国語を日本語としてあらわすため、数多くの言葉を作り出していった。こうした先人たちの努力によって、私たちは日本語に翻訳された書物で学び、研究できる環境が整っていったという歴史がある。
マルコス大統領のいうフィリピン語の知性化というのは、かつて日本が歩んできた外国語を日本語にしていったことを言っているように思う。
ただ、これには相当な困難が伴うだろう。
なぜ私がそう思うのかというと、フィリピン語がアルファベット表記されていること。そして英語が公用語となっていることだ。
日本が英語やドイツ語、フランス語の単語を日本語にできたのは、漢字があったからだ。漢字は文字そのものに意味があるため、外国語の意味をもとに対応する漢字を組み合わせることで日本語としていくことができた。これが表音文字のアルファベットではむつかしい。
フィリピン語にない概念や言葉を作るとすれば、新たにフィリピン語の単語を創造しなければならないだろう。さらに新しい言葉を普及させるのも大変だと思う。
それなら、すでに公用語としている英語の単語をフィリピン語として取り込んでいくほうが良いのではないか。
私はフィリピン語の知性化に反対しているわけではない。フィリピン語に限らず国語のブラシュアップは大切なことだ。
世界には何千という言語があるが、その90%が2050年には消滅するといわれている。
そんななかフィリピン語だけでなく、地方で話されている言語(ビサヤ語、イロカノ語など)もフィリピン人にとって誇りだと思う。だからこれからも繁栄していく言語であることを願っている。