日本とフィリピンが国交を締結し発効したのは今から66年前の1956年7月23日。
1956年は私が生まれた年なので覚えやすい。
第二次大戦後、日本は連合国のアメリカ合衆国の占領下にあったが、1951年にサンフランシスコでソビエト連邦、中華民国、インドを除く連合国との間に平和条約を結ぶことで主権を取り戻した。
その後中華民国とインド、インドネシアとの間に平和条約を締結しているが、ソビエト連邦(現在のロシア)とはいまだに平和条約を結んでいない。
フィリピンは1951年のサンフランシスコ平和条約に署名はしていたが、戦時中の賠償問題があったために交渉が長引き、賠償協定が結ばれるのを待って批准されたのため国交回復は5年後の1956年になった。なお賠償額は5億5000万ドル。これを最初の10年は平均2500万ドル、その後の10年は平均3000万ドルとし、これとは別に2億5000万ドルを供与することになった。
それから4年後の1960年には「日本フィリピン友好通商航海条約」が両国で署名されたが、フィリピン国内には日本占領の記憶が残っており警戒心を持つ人も多く、10年間たな晒しにされた挙句、上院が批准を否決するという事態となった。
最終的に現在のマルコス大統領の父親が戒厳令を出した後、72年の田中角栄総理大臣のフィリピン訪問に合わせて大統領権限で批准されたという経緯がある。
条約改定となる1976年から交渉がはじまり、1980年になってようやく日本政府とフィリピン政府の間で批准書交換が行われている。
つまり、日本がフィリピンの信頼を得るまでに、第二次世界大戦終了から35年という月日が必要だったということだ。
今年の国交記念日に先立つ7月18日、防衛省の岩本政務官がフィリピンの国防大臣代行を表敬訪問し、その後参謀総長と会談、さらに災害時の人命救助訓練の視察もしたそうだ。
フィリピン軍と日本の自衛隊が今後共同訓練をすることが合意されている。フィリピンも日本も台風や地震、火山の噴火などの災害にたびたび見舞われる国だから、災害復旧での協力も含めた訓練は両国のために有益だと思う。
妻の祖国フィリピンと日本がこれからも友好と協力関係が末永く続くことを祈念したい。
なんか最後は結婚式の祝辞みたいになってしまいました。