4月8日はお釈迦さまの誕生日「花まつり」だ。
今からおよそ2600年前のこの日、ネパール南部にあったシャーキャ族の王の子供としてルンピニーで誕生したのが後の仏陀、ゴータマ・シッダッタ。
誕生すると7歩歩んで右手は上に、左手は下を指し「天上天下唯我独尊」といったと伝えられている。
もっとこれは後世に仏陀の偉大さを表すための創作だ。
実際のゴータマ・シッダッタは何不自由のない青年として王宮で育っていくが、ある時なぜ人は病になり、老い、死んでいくのか。人生の真実とは何だろうかと深く考えるようになって出家。その後、ほとんど死にかけるような修行をする中で、真理に目覚め仏陀となる。
その仏陀の教えが今の仏教につながっている。
日本人は無宗教といわれるが、神様を祀る神社や仏教寺院はいたるところにある。
結婚式や神社で挙げ、葬式はお寺で行うという日本人は多い。日本の仏教が葬式仏教といわれて久しいが、本来の仏教は人の生き方を示す教えだ。死者のための仏教ではなく生きているもののためのものだ。
だから日本のお寺ももっと仏陀の教えをみんなに説くのがいいと思うが、残念ながら日本の僧侶は世俗化しているので、説法されてもありがたみは薄い。
一時期原始仏教ともいえるテーラワーダ教会に通っていたことがあり、スマナサーラ長老の話を熱心に聞いて勉強したので、私にとって仏教は大切なものだ。
そんなこともあって、我が家の仏壇には祖先の位牌と共にバンコクで買った仏像が鎮座している。
タイでよく見かける頭部が尖がっている仏像と違い、丸い頭で結跏趺坐している仏さまは実に柔和な顔をしている。だからこの仏像を見るといつもこころが洗われる気持ちがする。
「花まつり」には仏像に甘茶をかける習慣があるが、甘茶は手に入らないのでいつもより少しだけ長く礼拝した。