日本語で四角四面な奴というと、生真面目で面白みのない朴念仁のことを指す。
しかし立方体なら四角四面ではなく四角六面でないとおかしい。まあ四角六面な奴というと語呂合わせが良くないので四角四面というのだろう。
面白みのない四角六面で世界的に大人気となったのがルービックキューブだ。
1974年にハンガリー人の建築家エルノー・ルービック氏が考案し、1977年に発売されたルービックキューブは口コミで世界に広がった。日本では1980年に発売され大ブームとなった。
記録によれば当時の値段は1980円だったらしいから、決して安いものではない。おもちゃやゲームというより大人のための数学パズルという位置づけだったようだ。
私はすでにサラリーマンだったが、ゲームやパズルに興味がなかったので買わなかったが、だれがが買ったものを手にしたことはある。
六面の色が揃ったキューブの色をバラバラにするのは得意だったが、六面どころか一つも面もそろえられなかった記憶がある。
先日、考案者のルービック氏の本「四角六面、わたしとキューブ」という本が出版されたので読んでみた。
ルービックキューブが生まれた背景や、ブームとなってからの狂騒とその後について書かれている。ご本人は文章を書くのが苦手とあるが、どうしてどうしてなかなか面白い本だ。
ルービックキューブの不思議なところは、立方体を構成する一面3×3の9つの小さな立方体がばらばらに動くことだ。その動きを生み出す構造・仕組みが完成するまでの試行錯誤についても詳しく書かれている。
この本で面白かった部分をあげると。
学びとは知識の収集ではない。何度も練習した末に身につけたスキルだ。
知識は単に事実の蓄積ではなく、事実どうしの結びつきや関係を理解する、より深いものだ。
有益な情報と価値のない情報を見分ける能力が必要だ。知識とは成功と失敗を経てどうやってゴールにたどり着くかだ。運が良ければ、成功も失敗も覚えていられる。
学びは生涯続くプロセスだが、子供時代の学びが一番鮮烈だ。
子どもは三歳頃に質問を始める。たいていは「Why?」で始まる。
わたしたちは成長すると質問への答え方を学んでいくが、一方で気づかないうちに、質問する能力を失っていく。
消費者の注意を引き満足度を高める競合要素は、美が鍵となる豊かな経験へと急激に移行してきた。
キューブが象徴的な存在になったのは、普通ならありえないような機能性があるからだ。
しかしそれと同じくらい重要なのは、キューブが色などの、瞬時に感情を湧き起こすものへの認識力を要するタスクをこなすにあたり、その操作に適するように頭と心と手を調和させたことだ。
まだまだ紹介したいことが書かれている。
学校では知識を詰め込むこと、その知識を覚えさせ、その知識をもとに問題を解くことが最も重視されている。会社に入ると諸々の課題をどのように解決するかが求められている。
この本に書かれているように、もっとも大切なことは「Why?」という質問であり、疑問を持つことだろう。
google先生は、私たちの質問にいとも簡単に答えてくれるが、それを学びに変えていかないと、いつまでたっても本当の知識は身につかない。
私が子供たちに遊びをすすめるのは、遊びの中に「Why?」という問いと、うまくいかなかったりうまくいったりする中で本当の知識を得る喜びに目覚めるところにある。
本を読んでいるうちに、若いころには六面を揃えることができなかったルービックキューブを買って挑戦したくなった。今から始めれば、死ぬまでに一回くらいはできるかもしれない。