今年はマゼランがセブ島にキリスト教を伝えて500周年で、先日そのことを書いたが、同時にマゼランがマクタン島の領主Lapulapuとの戦いに敗れてから500周年になる。
フィリピン側から見ると戦勝記念500周年という節目の年だった。
4月27日にこれを記念した式典がマクタン島のLapulapu像の前で行われた。
Lapulapuはフィリピン人にとって国を代表するヒーローの一人だが、実は彼の生い立ちやマゼランとの戦いに勝った後のことはよくわかっていない。
マゼランとの戦いもピガフェッタの手記などがなければ後世に伝えられずに歴史の闇の中に沈んでいたかもしれない。
それはフィリピン側の記録が残っていないからだ。
フィリピンに文字がなかったから記録が残っていないというわけではない。
スペインによって植民地にされる以前のフィリピンの人々はサンスクリット系の文字を使っていた。
しかも識字率も高かったらしい。だから記録が残っていればもっとLapulapuのことも分かったかもしれない。
なぜ記録が残っていないかというと、記録媒体が椰子の葉や竹だったため熱帯地方では保存がきかなかったからと「物語フィリピンの歴史」で著者の鈴木静雄氏が述べている。
Lapulapuの生涯がどのようなものであったにせよ、彼が侵略者と戦ったフィリピンの勇者であったことに変わりはない。
式典の中で国家100周年記念委員会の事務局長は、セブ・マクタン空港の名称をLapulapu国際空港にするよう議会でイニシアティブをとっていくことを表明している。
コロナ禍もあり、いつセブ島に行けるかわからないが、次に行くときにはLapulapu国際空港となっているかもしれない。